非定型うつになってから変わったこと

4,5年前の自分、ブログ更新割と頑張ってたなぁと思って過去記事を眺めてた。

 

表題にある通り、2012年頃から非定型うつ病になって今も波が来ると怪しくなる。

 

原因というか発現したきっかけは2011年に大学に入って一人暮らしを始めた事、同年にこのブログでも言及してる兄弟同然のように生まれた頃から一緒に過ごした猫が亡くなった事。

慣れない東京の生活で塞ぎ込んで行った当時の状況を親を含めて誰にも相談出来なかった。

 

家族の中で学歴でいえば1番いい所に決まって、口には出さずともかなり大きい期待(プレッシャー)を自分に抱いていたのは分かっていたので助けを乞うことが出来ずにズルズルと病んで言ってしまった結果だった。

 

大学には穴を開けつつもなんとか通い、家に帰ると1人で静かに過ごす生活に耐えきれなくなり次第に大学にも行けなくなってしまった。

1週間風呂に入る気力も湧かずに、食欲を満たす時とトイレに行く時以外をベッドで過ごすこともあったし、味覚が無くなって塩胡椒を振りまくったインスタントラーメンを食べていた。

 

当然大学に行かなければ成績は付かないので、ある日そのことに気づいた親から鬼のように電話がかかってきていたが、その時もずっと寝ていたので気づかなかった。

翌朝気がついて折り返し電話をかけると一言目が「良かった、生きてた」で、今からそっち向かうから、今タクシー乗ってるから、と言われ「あぁ、バレちゃったか」と心底情けない感想を抱いたのを覚えている。

そこから親が来るまでの時間必死に掃除をしたが、荒れ果てた部屋が数時間でキレイになるはずもなく、悲惨な状況をそのまま親に目撃されることになった。

その場で当面の生活費を渡され、1ヶ月以内に部屋を綺麗にして実家に戻れとの話を受けてただただ従って地元に戻った。

 

地元に戻ったあと心理カウンセラーに相談に行くことになって非定型うつと判明した。

非定型うつに関しては検索してください。

 

判明した後は大学に復帰したりまた地元に戻ったり、このブログを開設した2014年は地元に帰ってアルバイトしてた頃。

今は割かし上手く付き合っていけるようになった。それでも波が来たら1日死んでる。

 

それで表題に戻るんだけど、それ以前と比べて何が変わったか、何を変えたかを少し書いておこうと思う。

 

・電話が怖い

あの時の親からの鬼電だったり、(滞納した自分が悪いけど)公共料金の催促電話だったり、色々あってとにかく電話が怖くなった。

今でも美容院とか食事の予約の電話をする時は緊張するし、着信が来たら心臓がドキドキする。

 

・1日に処理できるタスクが減った

並行処理が出来なくなったというか、書類を書いてポストに投函する作業を書類を書く作業とポストに投函する作業に分けて、1日でひとつずつしか出来ない時期があった。

今はもうちょっといけるいける。

 

・自分の感情を出す

非定型うつの人によくあるのが幼い頃良い子で育って抑圧されてたり、人に優しかったりする人。人に優しいを自分で言うのもあれだけどまさにど真ん中を突っ切っていった自分、嫌なことは嫌って言うように努力はしている。所詮努力だけどやらなかった頃よりはマシにはなってる。

逆にやりたいことはやろう。

 

・外に出る時間をつくる

よくあるけど太陽の光ってやっぱ重要なんだなって思った。散歩でもいいしサイクリングでもいい。自分はサイクリング派で、クロスバイクでちょっとした距離でも外に出たりするようにした。もちろん何もやる気が起きない日は寝てる。

 

・自分の自分に対するハードルを下げる

いい子で育って来た人は完璧主義が多い。少しでもミスすると辛くなる、実際辛いしずっと引きずってはふとした瞬間に思い出してまた辛くなる。

難しいことだし自分もいつも出来てるわけじゃないけどある意味開き直ることも大切な気がする。

ミスは学び、次から気をつける。

 

 

そんな重要な事書いてないけどちっちゃなことから変えていくのが大事だなって。

自分が自分らしく生きれるように、今までの人生で頑張って固めてきた「理想の自分のイメージ」を壊すことが1番いい事なんだろうなぁ。